日本人女性の体型

日本人女性の体型

1991年から4年間に渡り、歯科の専門誌に『美の追究』というタイトルで、当院顧問の稲葉繁が、審美歯科について連載させていただいておりました。

当院の審美歯科治療は、すべて、このコラム『美の追究』を原点としております。

私たちが考える、審美歯科は、歯を白くするだけの技術ではなく、もっと根本的な審美の法則に基づいております。

このブログを読んでいただいている読者の方にお伝えすることが出来ればと思います。

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◆「君によりて、日本の医学の花開く」

明治以来、日本の近代医学はドイツをお手本としてきていて、ドイツ人プロフェッサーによる医学教育が行われ日本の医学の道が開かれてきました。

のちに日本人医師の多くがドイツへ渡り西洋医学を修め日本に広めると共に、日本人医師とドイツ人医師の交流を通じて両国の医学水準を高めてきました。

一部の人は彼の地で研究を進め、ドイツ医学の歴史の中で厳然とした名を留めている人もいます。

東西ドイツが統一されて以来、初めて日独歯学協会のシンポジウムが平成4年5月23日にベルリン大学で開催されたのを機会に、旧東ベルリンの各地を見てきました。

特に感動的だったのは、フンボルト大学に所属する、結核菌の発見者であり、ノーベル賞受賞者である、ロベルト・コッホ教授の研究生活を送った部屋がそのまま博物館になっていて、机や本棚はオリジナルのものでした。

そこには、北里柴三郎先生の業績も高く評価され、6年にわたるコッホとの共同研究の業績は、コッホの日本びいきにもよく現れていました。

また、コッホが学生に講義を行った階段教室があり、当時のまま今でも利用され、まさに建物全体が博物館そのものでした。 

 
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その建物も第二次世界大戦の戦火による弾痕が壁のあちらこちらに残っていて、修復されないまま戦争のすさまじさを物語っていました。

ベルリンでの学会はシンポジウム、ポスター発表とも盛会のうちに終わり、つづいて26日、南ドイツのチュービンゲン大学に会場を移し、日独シンポジウムを開催しました。

ドイツから学んだ西洋医学も現在は同じ立場で交流されてきていることは先人の努力の積み重ねの結果だと感じます。

チュービンゲン大学は日本の医学と大変関わりがあります。

現在日独医学協会、日独歯学協会の事務局があり、1447年に創立されたドイツでも最も古い大学の1つであり、日本で内科学を教え、陛下の脈を直接取った最初の医師、そして草津温泉を有名にした、ベルツが学んだ大学です。

現在の内科病院の庭には、

「君によりて、日本の医学の花開く」と刻んだ記念碑が建っています。

◆ベルツが見た日本人女性の体型

エルウィン・ベルツは1867年から3年間6ゼメスターをチュービンゲン大学医学部で学び、その後ライプツィッヒ大学を卒業、内科学を勉強し、1876年(明治9)に日本に渡り、東京医学校生理学教室の教授として赴任しました。

その後

内科学教授となり、1892年までその任に当たり、日本の医学の向上に努めました。

その間、日本女性と結婚し、たくさんの研究論文を書いていますが、日本人の女性の体型について興味ある見方をしています。

日本の女性には2つのタイプがあり、ひとつは薩摩タイプで、もう一方は長州タイプである。

当時は明治維新直後であったためにベルツはそのような分類をしたものと想像されましたが、大変興味深い見方です。

薩摩タイプは特に鹿児島県の人という意味ではなく、日本人の庶民タイプの人として理解してよいと思われます。

その特徴は、背が比較的低く、ずんぐりしていて、顔は四角ないしは丸顔で、鼻は低く広く、眼はどんぐり眼で二重まぶたが多い、いわゆる昔風の美人ということになりますが、このようなタイプの人は比較的に少なく、お公家さんのような上流階級の人によくある顔である・・・・とベルツは指摘しています。

現在の日本人のタイプの分類では、この2つのタイプは“縄文人タイプ” と“弥生人タイプ”といえるかもしれません。

◆理想・印象・写実を具現した『智・感・情』

明治時代に日本人の裸の女性を油絵で描いた最初の人は「近代洋画の父」といわれる黒田清輝です。

彼は慶応2年(1866)に鹿児島で生まれ、5歳の時に黒田清綱の養子となり、12歳で狩野派の樋口探月に日本画を学びました。明治17年18歳の時に法律を学ぶために渡仏しましたが、パリに在住していた日本人画家達に画学修業を勧められ、ラファエル・コランに師事、コランは黒田の才能を愛して、アカデミーだけでなく個人的にも無償で指導したといいます。9年間のフランス留学を終え、明治26年、27歳で帰国しています。

黒田の帰国は日本の洋画界に大きな変革をもたらすことになり、新しい視覚、新しい感情、新しい表現は衝撃的でさえあったようです。

有名な彼の作品『湖畔』 は彼の愛人昭子と一緒に箱根の芦ノ湖に旅行した時の作品で、日本人離れした美人で、パリ滞在中のモデルがオーバーラップしているといわれましたが、後に夫人となった大変魅力的な日本女性です。

 
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『湖畔』 は端整でエキゾチックな顔立ちの女性を描き、黒田清輝夫人昭子です。

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彼の33歳の時の作品である『智・感・情』 は最初の日本人女性の裸体モデルを描いた大作で、当時の無理解な裸体画批判に対して、洋画界の新旗手黒田は実制作を自ら示して、これに反論した作品といわれ、理想・印象・写実という画家の三要素をそれぞれ智・感・情に充てて着想したものといいます。

モデルは均整のとれた8頭身で、主題の持つ象徴性を表すため、背景を金地一色で覆い、理想化された写実的な人体には朱の輪郭線を描く手法で、パリの万博に出品して銀賞を得ています。

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稲葉先生の審美歯科は、歯にとどまらず、こんなに大きく美をとらえているということに、改めて気づきました。

小さい時から、いつも父にくっついて美術館めぐりをしていましたが、今父が何を見ていて観察していたという事が、ようやくわかるようになってきました。

人間の美は、全体から、かもしだすものであって、歯はその一部なんだなと思いました。

このほか、日本人の顔の特徴についても「美の追究」に書かれていますが、膨大なので、またの機会にしたいと思います。

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Prof.Shigeru Inaba, an adviser of my clinic, wrote a series of articles
titled "Aesthetic investigation" in the dental magazine about dental
esthetic over four years  from 1991.

Our dental esthetic works at our clinic started from this colum ” Aesthetic investigation”

Our esthetic treatment is not just tooth whitening but also is based on the way of esthetic application.

We updated our blog on Japanese women's body shape.

Seiki Kuroda was called "The father of modern oil painting".

He is the first Japanese artist who oil-painted naked body of Japanese women.

Shigeru Inaba who is also my father used to take me to museums when I was little.

I realized he was not just thinking about the beauty of teeth, but also
about the total human beauty by appreciating arts like this.

I understood that human beauty comes out of the whole body and that teeth are just a part of it .

Shigeru Inaba also wrote about the features of Japanese face in
"Aesthetic investigation".  When I have another opportunity in the
future, I'd like to mention it.
Aren't Seiki Kuroda's Japanese women beautiful?!